春の息吹と生まれた子(出産・産後メモ)

こんにちは。

気が付いたら春になり、わたしを苦しめるスギ花粉も終盤を迎えるころになっていました。

そろそろ桜の見ごろですね。今週末に子を連れて、簡易なお花見さんぽなどを企てています。

そんなこんなで子は無事生まれ、2か月を過ぎました。

ほんとにだらだら出産と産後の日記かきます。

思いついたらこういうところを気をつけようみたいなポイントまとめたものは別でかきます。

ほんとにただだらだら日記です。

 

突然の入院、中休み、スピード出産

前回記事で出産予定日まではおなかにいてほしいなあと書いたのもむなしく、1週間おきの産前検診にて「子宮口が全開の10cmに対して2cm開いていますね、入院の荷物は持ってきていますか?」と尋ねられ。す、少しも自覚症状はないんですが……ほんとですか。
たくさん歩くと陣痛が来るとかそういう陣痛ジンクス(陣クスというらしい)をいろいろ調べ、その真逆を突っ走らんと産休に入ってからというもの主にこたつに半身をうずめ、読書するなどしてマ~ジで一歩でも少なく生活することを心掛けていたのに……

 

家に用意してるので荷物取りに帰っていいですか?と聞いたら、いやもうダメです…お産の2割が進んでいる状態なので病院にいてください、と言われ、慌てて夫に荷物を取ってきてもらうことになりました。それも何往復か、、、家から近い産院を選んでいてよかったです。

いつも検診に夫が同行してくれていたため荷物はスムーズに取りにいけましたが、平日の仕事終わりの夕方に受診していたので晩御飯も食べそこね、鍵もついていない簡素な病室に宿泊することになりました。

設備が特別悪いわけではないけど、まったく完全にいつもどおり帰るつもりだったのに(なんなら帰りに初めていく店に寄ってご飯食べる予定だった)、急に最低限の広さの、慣れないベッドに、ひとりで寝ることになり、まあまあ心細さと体のストレスがあり、加えて金曜日だったので出産の休日加算かかったらやだな…みたいなことを考えていました。

 

結局そのあと数日何も起こらず、平日になってから陣痛が始まり、始まったと思ったら4時間後には無事子どもが出てきていました。

安産でなによりであるのに、この入院期間がなければ出産手当金でまかなえていたなぁとか、先に破水していたら、特に使う予定もないのに親に加入させられていた医療保険の掛け金すべてペイバックできたのになぁとか、卑しいことを考えてしまいました。

本当に出産は何があるかわからないし、2人分の命がかかっているのだから無事に越したことはないのに、無事過ぎたが故の傲慢ですね。めっ。

 

出産前はせっかくの人生だから陣痛の痛みというやつを知りたいな~とか思っていましたが、この世には知らなくていいものがあるんだなというのが終わってみての感想です。痛みで妊娠期の記憶とぶってほんとなんやな。

ほんとにあんな痛み味わうことがないんだから男性は血尿出るくらいまで働いて経済成長させるべきでは??みたいな過激派思想すら湧いてくるくらいの壮絶体験でした。なんで日本で無痛分娩が普及していないのか心底疑問。

あと、会陰切開まではまあいいとして(ほんとに出産で痛みわからなかった)、縫うのも無麻酔なのきつかった。臓器チクチク針で縫われて平気なわけねーべ…

たったひとりでも男性が陣痛、出産を経験できればその検体Aの声に耳を傾けてもらえるんでしょうけど、女性の声なのでみんなやってることだ~なんて軽視されるんでしょうね。という日本の女性の痛みの軽視を感じた経験にもなりました。

10億円持ってたら4,5人はこどももつわと思っていたけど、産後は2人目の検討を議題に上げることすら躊躇するレベルにもう二度としたくないの一心でした。

まあ産後、妊娠期の記憶含めてふっとんで忘れやすくなったので産褥期も終えた今はやっぱり10億円あったら3,4人は検討したいかなぁ。ほかに自分がすることで未来に残るような、意味のあることってそうないよねっていう気持ちも含めて。

 

産後の育児メモ

生まれてすぐはほんとにもう出産で体がボロボロで、座るのもつらいし寝るのもつらいし立つのは論外、それにやや長めの入院暮らしで人生で最もめちゃめちゃに体がむくみ、さらに産院での過密スケジュールによって寝不足からのスタートになりました。

あと退院の時に、トラベルシステムのチャイルドシートがうまく使えなくて夫が到着時から不機嫌だったことにめっちゃむかついてました。笑 なんでやねん。

夫は食事作りはすべて担当してくれているし、ミルクもおむつもなんでもとても積極的にしてくれていて(あと普段はいつも機嫌がよい、念のため)本当にありがたいけれども、やっぱり男性はあまり出産や産後の情報が少ない(そしてそこまで熱心に調べに行かない)ので産褥期という認識がなくて、もうちょっと助けてもらえないものか…と内心もんもんしたりするようなこともありました。何を知ってて何を知らないかわからないから、伝えるのもちょっと難しいというか。逆に夫はわたしが産院でたくさん世話のしかたや知識を教わってると思ってたけど、実際には習ったことは全部伝えてるのであとはセルフリサーチですよとか。産後の夫婦の認識ギャップはちょっとした問題につながるかもしれませんね。

 

まあそんなのはおいておいて、新生児期はほんとうに体のしんどさで心が無でしかなく、そのうえ陣痛と出産の痛みで半年分くらいのはっきりした記憶がないので、3分クッキングで見る「こちらが事前に用意したものです~」って急に調理段階の進んだ食材が出てくるみたいに、こちらがあなたのこどもです~って急に渡されたような感覚でした。出てくるところ見てるわけでもないしね。

じつはおなかの中にあったのは生理食塩水バッグで子どもは工場で作ってて、出産を母体に体験させることで愛着を持たせて育てさせる社会システムであったとしても気づかないよな~とかしょうもないSF?想像をふくらませるくらいに実感がなかった。

 

子に話しかけたりあやしたりするみたいなモチベーションがゼロで、ひとり家で世話してるときはほぼ無言。帰宅した夫が楽しそうに話しかけてるのをすごいな~とぼーっとみていました。抜け殻状態。

子が笑ったり、抱っこしたとき首や腕に手を回してくれたり、なにより体力と気力も回復した産褥期も終わった今となっては、あの新生児期のちいささをもっと堪能していたかったと思うけど、本当に産後すぐの女性って余裕らしい余裕が皆無になるんですね。

ほんとうにこれから生むかたは新生児期の写真をとっておいてください。戻れないから、戻れないけど、振り返ってしることができるから、、、、

 

今では首もすわり、メリーで一人遊びもし、クーイングのバリエーションも増えて機嫌のいいとき何か言ってたり、朝おきておはようっていったらニコーーーーってわらってくれたり、毎日が可愛いの嵐です。

今後も悔いなく日々しっかり愛していけるようトレーニングを始めました。まあそんなような話も含めて、悔いや次回あるなら、やりなおせるならこうしたみたいなことを改めて書けたらいいなと思います。

 

というわけでただただだらだらと記憶の吐露をいたしました。